017:√
基本的に、目の前の事象で考えれないことというのは苦手だ。理解しにくいから。
だから、「√」も自分の中では理解しにくいものの範囲に入る。
数学の記号は試験の前にまる暗記が文系の僕の常等手段だった。
化学もそうだったし。目に見えないものが粒で出来ていることを頭で理解はできても、実際納得はできていなかったのだと思う(今でも納得はできてないと思うけど)。
きっと一部の人にとってとても便利な記号というのは(もしかしたら大勢の人にとってなのかもしれないけど、今現在僕は日常で√を使う場面には遭遇していない)、そういう人たちだけが、分かっていればいいんじゃないだろうか、と高校の定期試験の前は誰でも思いそうなことをやっぱり思っていた覚えがある。
「教育」ってどーなんですかね。
3.14を3にすることに意味があるのか、とか、台形の面積を求めさせるのと求めさせないのとではそこまで差があるものなのか、と僕は思いますけどね。
そういうとこじゃなくって、もっと見につく授業してくれればいーのに。生徒がそれを聞いて「へぇ〜」って思うような。トリビアの泉じゃないけど、それを知っても役に立たなくっても、それを知ることにおもしろいと思えるようなことだったら数学も(算数じゃなくてね)もーちょっと頭に残ってたかもしれない。
高校の生物の先生はなんでも教えてくれた。分からないことは分からないって言えば、その人の分かる範囲で教えてくれた(僕の疑問程度のものであればだいたい解決してくれたが)。月がなんで白くなったり黄色くなったりするのか、大きくなったり小さくなったりするのか、教科書を読んでも分からなかったことをいちいち(授業内容とはまったく関係ないのに)丁寧に教えてくれた。ああいうのは、すきだ。
金八先生ではないけど、言葉の成り立ちを含めて意味を教えてくれれば、もっと言葉と言うものに日本語と言うものに興味を持つ子は多かったかもしれない。
そんなことを思う今日この頃。
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